セラピー > コアプロセス・サイコセラピー > コアプロセス・サイコセラピー (by Laura Donington)
コアプロセス・サイコセラピー
by Laura Donington
翻訳:関口里華
定義
コアプロセス・サイコセラピーは、今この瞬間の体験をどう捉えるか、またそれが過去の因子や自分の人生での条件付けにどう影響を受けているのか、ということを探究していきます。今この瞬間の体験に対する深い気づきを用いて、私たちの内的なプロセスを探っていきます。気づきには自分のエネルギー、感覚、感情、精神過程、またこれらがどう身体レベルで表現されるかということが含まれます。探求の目的は、私たちの体験を変えることではなく、体験にどう関わっているのかを知ることにあります。それによって、人生でより創造性や柔軟性が発揮できるようになるためです。コアプロセスワークは、意識の内により深い英知が備わっており、その英知は癒しの方向に向かっているという考えを基盤としています。自分が悩みや苦しみにいかにしがみついているのかを理解し、人間の核にある慈しみや智慧、開かれた心とより深くつながれば、統合と自由がもたらされるのです。
基本概念
コアプロセス・サイコセラピーは、私たちが本質的に自由だという前提を基盤としています。つまり、私たちの「自己」の核は自由で無限だということです。仏教用語で言うと、人間としての経験の核はすでに悟りの境地にあるということです。
「今ここにいる」という大切な感覚、つまり自由であるという感覚は常にあるものです。しかし、私たちを条件づけているものによって、その感覚は通常の生活を送っているうちに衰えてしまい、感じられなくなってしまいます。私たちは多くの場合、世の中との関わりの中で、ある特定の立場に無意識にしがみついています。または、「自分が何者か」、「物事はこうあるべき」という概念から、世の中と関わり合っている場合もあります。このような概念は、内的にも外的にも、また時にはごく無意識のレベルで、私たちの経験を形作っています。これは条件づけのされた「人格形成」であり、それにしがみついているために、充足感や慈悲、知恵、喜びを経験する機会が制限されてしまっているのです。コアプロセスのワークは、この気づいているという自然な状態から、いかに自分を切り離しているかを知ることであります。知ることによって、自由である感覚を再び見いだすことができるようになるのです。
コアプロセスの人格形成「モデル」は、私たちが今この瞬間にどのような在り方をするかということについてです。また、人格形成の発達モデルも取り入れられています。それは生まれてきた時の環境による条件付けがいかに自分の持つパターンに影響してきたかを理解することを基盤としています。これらの条件付けのいくつかは、受胎、着床、妊娠、出生など、人生のごく初期の段階での環境から始まっています。これらの条件付けは、元型(アーキタイプ)や世代で受け継がれてきたものとあいまって、その後の人生の経験をいかに捉えるかというパターンに深く影響を及ぼします。この最も初期のパターン付けは、その後の人生経験の基盤を作り出します。初期のパターン付けは、私たちが生き延びて自分の内面を守るために発達させた、防御戦略や情緒、肉体的な盾に覆われています。
発達についての理解は概念の枠組みの大切な要素ですが、実際のワークは、現在の瞬間に私たちがいかに過去の経験を持ち込んでいるかということに気づくことにあります。「人格」とは、自分の人生の中で常に起こっている、「何者かになる」という絶え間ないプロセス(過程)の終点と捉えられます。そのプロセスに気づきをもたらすことや、自分の経験のより多層な部分を感じる取ることで、私たちはこれをプロセスとして経験したり、自分の基盤にあるコア(核)の状態に対する気づきが拡がるようになります。これにより、激しい感情を感じている最中でさえ、そこには「間」があるのです。コアプロセスのワークでは、気づきそのものが変容させる力のあるものであり、癒しなのです。癒しは「変化を起こすこと」にあるのではなく、私たちが本来持っている自由の深さに気づくことで起こります。
何かを経験する際、まず私たちは純粋な気づきや開かれた心、受容力を持って、その経験を受け止めます。けれども、内面でのできごとや思い出、イメージ、または外界での出来事や対象といった何かが気づきの場に影響を与えると、すぐさま自分の傾向や過去の経験に基づいた反応に切り替わります。似たような体験を連想したり、私たちの意識の内外の対象と同一視し始めるのです。そして、感情やニーズ、願望にしがみついて、経験から遠ざかったり近づこうとします。自分の反応に囚われたり、反応と自分を同一視したり、反応にレッテルを貼ったり、反応に基づいて、自分というものを作り上げるのです。「私という人間は、こういう風に経験したり感じたり反応をするものだ」ということを信じているためです。つまり、私たちは過去の経験や反応が今この瞬間の自分なのだと思い込んでおり、この立場を守ることで、適切で自然な反応が生まれるのを妨げてしまっているのです。
苦しみの原因
西洋でも東洋でも、「自我」や自己は、人がどのように世界と関わるかを形成する中心概念とされています。多くの西洋心理学では、苦しみとは傷ついた自我の形成の結果と見なされており、健やかさとは、自我がうまく機能していることとされています。仏教心理学では、このモデルより更に進み、自我が苦しみを作り出している過程を説明します。自我が自分のすべてのスペースを占めてしまい、条件づけのない、深い経験ができなくなってしまうという過程です。「自我の心」によって、創造性エネルギーの源や生きている実感、すでに統合されていて自由であるコアの状態から乖離してしまうのです。
健やかな自我は、世界と関わる基盤として重要であり、自我の機能を強化し、自尊心や個人の境界線を築くことが必要です。しかし、自我は人間の意識が作り出したものです。それはこの世界を分離させ、知覚するために身につけたものに過ぎません。苦しみは喜びと同様、普遍的な人間の心理状態の一つですが、個人の苦しみは世界からもたらされるものではなく、自分が世界とどのようにかかわるかによって生まれるものです。私たちは過去に身につけた「自分」を繰り返し演じており、この条件付けされた自己と、世界とどのように関わるかという習慣にしがみついていることから、多くの苦しみが生まれるのです。
私たちが自分のプロセスを探求し始めると、「自己」と感じてきたものは心理、感情、肉体的なプロセスの連続した動きにしか過ぎない、ということをより深く経験するようになります。すると、自分の経験のすべてにおいて可能性が広がり、ゆとりが生まれ、互いにつながったより大いなる意識の一部であるという意識を持つようになります。この経験はより深いレベルでの統合と癒しです。ただし、この経験に対して心を開くには、自己を完全に経験して、自分が苦しみの多くを作り出している様子を知る必要があります。この「自己のプロセス」を優しさと受容の心を持って探求することによってしか、その中にあるより深い可能性と生来持っている自由の真価を認めることができないのです。
変容の過程
コアプロセスモデルでは、私たちには真実に向かう基本的な動きが本来備わっているとされています。つまり、人間には生来、癒しや変容に向かう力があるのですが、時にはそれがブロックされてしまい、自分が慣れている在り方やアイデンティティに囚われてしまいます。たとえば、「私は怒っている」とか「私は悪い人間だ」などのように、固定したものとして捉えてしまうのです。
コアプロセス・サイコセラピーは、自分の経験を変えようとするものではなく、その経験との関わり方を探求していきます。自分のプロセスを凝り固まったエゴや自己としてではなく、可変のものとして経験するために、今この瞬間によりオープンになることによって探求を行うのです。このプロセスを可変のものとして経験すればするほど、決まったやり方でプロセスが進むという期待が少なくなるため、自分の中から判断や抑圧、葛藤が少なくなっていきます。自分のアイデンティティや執着を手放せば手放すほど、コアについての気づきが広がり、自分のプロセスのすべてを満たます。そうした時、たとえあるレベルで混乱や動揺があろうとも、すべてのものの水面下に気づきがあるため、自分とそれらの間にゆとりが生まれるのです。
自分の経験に対して判断を下さずに、ただ経験と共に在れば、 真の癒しが起こりえます。変容が起こるのは、物事をあるがまま受け止め、自分の経験に対して開かれている時であって、物事を頭で理解しようとしたり、変えようとしたり、リアクションを起こして自分の注意を逸らそうとしても、変容は起こりません。
もしも悲しみの感情が出てきたら、すぐさま原因や理由を探し出すのではなく、それを受け止め、その時にできる限り、感情を感じ切ります。悲しみを抑えたり、悲しみに反応することで自分の気をそらしたりはしないようにします。悲しみと共にあれば、悲しみの底にある恐れや怒りなど、他の面が見えてくるかもしれません。あるいは、その悲しみが馴染みのある感じがして、人生のある時のある状況のなごりであることに気づくかもしれません。または、過去の痛みとそれにまつわることを思い出して、自分がその時にどのように対処したか、今でもそのパターンにどのようにしがみついているのかを理解するかもしれません。
自分の経験に完全に意識を注ぐと、自然と変容が起こります。自分が今この瞬間に完全に意識を保てないことや、どのように自分を閉ざしているかに気づくのは、ワークの重要な部分です。自分がこの瞬間にどのように物事を経験しているか、反応をしているかということから始め、物事をあるがままに受け止める能力を育み、自分がしがみついているパターンなどを意識する。この作業を通じて、自分がどのように世界と関わっているかという気づきを深めていくのです。
この作業は辛く、苦しいものであるかもしれません。というのも、それまでの人生で身につけてきたいつもの防御方法やアイデンティティを手放すことを余儀なくされるからです。ただ、それまでに作り上げた自己イメージというものは、たとえ自他に対して否定的な判断がたくさん含まれていたり、多くの痛みに満ちたものであったとしても、そのように作り上げられた理由はちゃんとあるのです。それは、必要なものが十分与えられなかったり、生命の危機や危険として体験された世界で、自分がどのように生き延びてきたかを表すものであるのです。しかしその自己像は、外界と距離を置いたり、殻に閉じこもったり、自分自身の深い部分から切り離すことと引き換えに作り上げられたものであるかもしれません。たとえば、母親から十分に愛情を受けられなかった自分を守るために、自分が愛される存在ではないと考える癖を身につけたのかもしれません。または、父親を憎むよりは自分に対して怒りを向けることを学んだのかもしれません。こうした思いを手放すことは、自分の中の隠された、または切り離された部分と再びつながることになるため、過去の欠乏や暴行、トラウマの痛みをまた味わうこととなります。さらに、「自分が何者か」ということがもはやわからなくなってしまったという存在の苦しみもあります。この痛みは、ある意味で死—エゴの死とも言えるでしょう。
しかし、この核の部分での気づきを得ることで、明晰さや洞察、愛が生まれてきます。最も深いレベルでの自己との触れ合いは、根底にある恐れや苦しみを貫きます。そして、「私は〜だ」という条件付けへの執着を手放し、異なる在り方ができる可能性が開かれるのです。長年身についたパターンが解放されると、自己が流動的で全体的なものとして経験されます。自分の信念、思考、感覚、肉体的なプロセスが統合されるためです。すると、より深い意味での真実が自然と浮上してきます。それにより、より自由で創造的に自らの人生を生きることができ、真に開かれた心で人と関係を結ぶことができるようになるのです。
人間関係
私たちは人間関係を通して自分が何者であるかを学びます。クライアントとセラピストとの関係はコアプロセスのワークの核であり、癒しが起こりうる状況を作り出します。転移の問題があったり、難しい感情を経験したり、困惑したメッセージが伝えられたとしても、人間関係は強力なリソースなのです。クライアントの心に深く触れることで、クライアントが自分の内的プロセスを探求し、今の自分に留まるために自らに課している制限を見いだす場を作り出すのです。
「プレゼンス」の質、つまり身体の中に「在る」ことや、考えや感情の質は、基本的なものです。クライアントとセラピストの双方が「今この瞬間」におり、経験の一部に反応するのではなく、経験をすべて感じきったときに、最も深遠なワークができます。このワークでは、共同での気づき、つまり、クライアントとセラピストが今現在の自分の内的プロセスに気づきを向け、そのプロセスがどのように二人の人間関係に反映されているかを知ることが重要です。
セラピストはごく受容的な立場にあり、あらゆるレベルで脆弱さをさらけ出し、受け取ることを行います。それは、クライアントが伝えようとしていること(そして、いつそれができないのかを知ること)のすべてにオープンであるためです。セラピストはクライアントに意識を置きながらも自分のプロセスにも意識を向けます。これには、相手の話に全身全霊で耳を傾けることが必要となります。セラピストは、自分の人格や身体感覚、反応とともにクライアントと接します。しかし、人格や感覚などを排除しようとするのではなく、それらをフルに活用してクライアントと接するのです。その場で起きていることがどう自分の抵抗感を生じさせているのか、何がクライアントの経験による考えや感覚なのかを常に感じとっていきます。セラピストがクライアントにどの程度オープンでいられるかというのは、セラピストが自分の経験にどれほど開かれているかによります。自分のプロセスを追求して、内側にスペースを見いだせば見いだすほど、他人にもそのスペースを解放することができ、傷つくことを恐れず、愛とともにクライアントと在ることができるのです。
開かれた心で今この瞬間に意識を注いでいれば、全身全霊で相手の話に耳を傾けることが可能です。それは、混乱の最中にあったとしても英知が働いているということを信じながら、相手の言うことを傾聴し、言われたことを受けとめ、また耳を傾けるということです。もし何もそれを阻むものがなかったら、セラピストはクライアントに起こっていることにすべてオープンな状態であるため、経験の二元性が消え失せ、あとには深い慈悲に基づく関係性が残るだけです。
このような関わり方によって、経験の最も深い部分をクライアントが分かち合える条件が整うのです。そして、闇に葬られていたものに光がもたらされ、受け入れられなかったことを受け入れ、耐えられないと思ったことに寄り添うことができるのです。経験の最も深い部分に対して、判断を下さずに受け止めてくれる「他の」存在を体感することは、深い癒しの体験です。クライアントはそこから、自らの経験に対して新しい在り方を見いだすことができるようになるのです。
コアプロセス・サイコセラピーの歴史
コアプロセス・サイコセラピーは20年前に誕生しました。このワークは西洋で発展したさまざまな概念やスキルを組み合わせたものですが、枠組みとなる概念、そしてアウェアネス(気づき)やプレゼンス(意識を今ここに向けること)は仏教思想に基づいています。ただし、このワークを受けたり学ぶために仏教に帰依していたり、知識が求められるわけではありません。
s コアプロセス・サイコセラピーのアプローチは、1960年代および1970年代に発達した革新的なワークに深く影響を受けています。たとえば、身体の防衛パターンに注意を向け、感情や認識のパターンに取り組むことが癒しや統合の効果があるという、フロイドやウィルヘルム・ライヒのワークを基盤にしています。また他にも、身体の心理情緒(psychoemotional)パターンに目を向けたアレクサンダー・ローエンやポスト・ライヒ派のセラピストたちにも大きな影響を受けています。それらのセラピストたちは、ゲシュタルトセラピーを開発したフリッツ・パールら子宮内や出生時の体験から人間がごく初期のパターンを身につけるという研究をしたスタン・グロフおよびビル・スワートレイ、ウィリアム・エマーソンなどです。
精神分析、分析心理学、対象関係論での洞察は、認知機能や発達過程の重要な側面であると捉えられてきました。マズローやロジャースに代表される人間性心理学やユング心理学がそうであったように、コアプロセス・サイコセラピーでも、生来備わっている発達に向かう力に重点が置かれています。彼らが生み出したアプローチやスキル、技術は、仏教サイコセラピーの枠組みに取り入れられています。
精神修養としての仏教は、意識のプロセスに対する深い理解を基にしていますが、この意識のプロセスは多くの西洋の理論に問題を呈するものです。西洋心理学は、客観的な科学の枠組みの中で、心理構造についての理論モデルを確立しようという試みに多大な影響を受けてきました。一方、仏教心理学は、マインドフルネス(常に注意を払うこと)の内省的な修練を基盤とした、まったく異なる伝統的な哲学に端を発しています。知的な理解や自我の「自意識」の発達を探求するのではなく、条件付けがされていない気づきに対するより深いレベルから、意識そのものが生まれる過程を理解するのです。
「意識」とは「形成」のプロセスの一つが具象化されたものであると見られています。形成のプロセスは、肉体や感情、知覚という形でも表現されています。これらは人格のすべての面であり、それは過去の要因や条件が今現在の瞬間に表されたものです。形成のプロセスに注意を向けること自体が、条件づけられた「自己」を手放し、「無意識」の持つ創造的で精神的なエネルギーを解放する可能性をもたらすとともに、純粋な気づきや慈悲、愛とより深くつながることのできる道を開くのです。コアプロセスワークでは、こうしたことに対する理解、そして仏教の気づきの修練から導かれたワークの方法などが西洋心理学と統合され、実践的なサイコセラピーの基盤を成すものとなっています。
ワークの創始者
コアプロセス・サイコセラピーは、スコットランドのエディンバラ出身であるモーラ・シルズが作り出したものです。彼女は作業療法を通して心理療法の世界に入りました。専門は精神医学で、薬物依存者に対して心理療法を施していました。イギリスやアメリカの各大学で教鞭を執った後、精神科にかかっていたことのある患者向けのセラピー治療を主眼とした共同体を経営しました。1970年代はイギリスでポスト・ライヒ派やゲシュタルトセラピーを学び、カリフォルニア州にあるエサレン・インスティテュートで集中トレーニングを受けました。
モーラはその当時 、東洋の精神修養の世界も探索していました。ビルマの高僧、Taungpulu Sayadaw師の下で尼僧となり、仏教学と瞑想の実践を学びました。この経験は治療に対する見解に深く影響を与え、次第に彼女のワークが統合されていき、後にコアプロセス・サイコセラピーとして知られるワークにまとまりました。
1979年、仏教心理学とボディワークに深い造詣を持っていたフランクリン・シルズが彼女のワークに共鳴し、これらの要素がコアプロセス・サイコセラピーに取り入れられました。フランクリンは同じ師につく仏僧であり、西洋医学とアーユルヴェーダ医学、ポラリティセラピー、クレニオセイクラルセラピーを学んでいました。二人は1980年にカルナ・インスティテュートを設立し、共同でコアプロセスの持つ心理療法の側面と精神的な側面を統合させる方法を共同で探究しました。カルナ・インスティテュートでは、コアプロセス・サイコセラピーおよび関連したヒーリングのトレーニング、グループ、ワークショップが開催されています。
